現役ナースの独り言 

病院のエピソードや、健康情報を伝えていきます。

レビー小体型認知症と診断された母の経過 #1

こんにちは。

ナースの独り言です。

 

 

今日は「レビー小体型認知症」と診断された実母のことについて書いていきたいと思います。

健忘録と、どなたかの参考になれば・・・と思っています。

 

レビー小体型認知症と診断された母の経過  #1

母の紹介

実母は1950年生まれ。東京都出身。

8人兄弟の末っ子。

私は、母が子どもの時の貧乏だったエピソードを繰り返し聞き

「あなたは恵まれている。お母さんに比べてあなたは幸せだ」と育ちました。

実際に貧乏だったようですが、末っ子母と長子の年齢は16歳ほど歳が離れていて、

10歳そこそこで奉公に出された母の姉に比べたら、末っ子母は貧乏ながらも

なんだかんだと可愛がられて、育ったようです。

 

中学卒業後は、美容師になるために勉強し、美容師に。

どうやら好きな人がいたようですが、おばあちゃん(私の母の母)に「大手の会社に勤めている人だから」と勧められて、24歳で父とお見合い結婚。翌年私が生まれます。

(その母の好きだった人が、赤ん坊の私と母に会いに来たとかいう話もちらっと聞いたことがあるのですが、もっと詳しく聞いておけばよかった(笑)。子どもだったけど空気読みすぎたな・・・ちなみに私は父にそっくりなので、ドラマ展開はなく、残念ながら間違いなく私は父の子です(笑)

 

私が8歳の時に、父に多額の借金があることが判明。

父はギャンブル依存症でした。

今となっては「心の病気」ということで、治療をしていたかもしれませんが、当時は「お父さんの心が弱いからだ」「妻である母がしっかり見ていないからだ」など親戚から母が強目に言われていたのを子どもながらに覚えています。

借金を返すために、パートで働きに出ますが、手に職がなかった母は苦労したようです。

そのため、まだ10歳くらいだった私に

「男に頼らなくても一人で生きていけるような仕事に就きなさい」「看護師になりなさい」

と勧めてきました。私が看護師を本気で目指し始めたのはその時からです。

 

しばらく頑張って、借金を返してきた母でしたが、借金を完済した時に

「私の役目は終わりました」と家を出ていきます。

私が17歳の時でした。

 

私はその時に母が不倫をしていたことに気づきますが、妹は3年前くらいにすでに気づいていたようです。(妹、まだ小学生だったのに・・・・w)

「お母さんのパンツが変わったからすぐわかった。お姉ちゃんってほんと鈍感だね・・・」と呆れられたのを覚えています。

それまでも母はモテたようで、父の会社の人(母と同じくらいの人だった)が家を訪ねてきたり、クリスマスにパールのネックレスをプレゼント(こちらは結構なおじいちゃん)してきたり(私が会ったのは2人。2人とも父を介して断ってもらった)していました。

母の名誉のために言っておくと、実際、その人達と恋愛関係はなかったようで、一方的に好意を持たれて困っていると母が友人に話しているのをこそっと聞いたことがあります。訪ねてきたのが子ども(私)がいる時で良かった、気持ち悪いって母は言ってました(笑)

小学生だったので詳しい経緯は分からず。

 

その後、父が家出した母をストーキングしたりする事件もありましたが(笑)

離婚成立後、母は8歳年下の家出の原因になった人(初婚)と結婚します。

1995年 母45歳、お相手37歳、私が20歳の時だったと思います。

 

私は看護師になるために、22歳で実家を出て、それから父とは音信不通でした。

父は10年前に亡くなっています。

 

母とは家出後もずっと連絡をとっており、私や妹の子どもは、母の夫のテツさん(仮名)のことを「おじいちゃん」と呼ぶような仲です。

 

テツさんは親兄弟はおらず天涯孤独の方でしたが、とても愛情深い人で、私の子ども達を本当の孫だと思って可愛がってくれました。二人の間に子どもはいませんでしたが、母とも仲が良く、しばらくは穏やかな日々でした。

 

異変

1.うつ症状

一番初めになんかおかしいと思ったのは、2012年、母が62歳の時でした。

仕事をやめてから、母がうつっぽくなりました。

出産後、里帰りしていた妹から

「お姉ちゃん、お母さんがやばい!!」と連絡が。

ある日、妹が赤ちゃん連れて母の家に帰宅すると、真っ暗な中、電気もつけずに部屋の真ん中で母が体操座りをしており、「私なんて存在する意味がない」とかなんとかぶつぶつ呟いていたようです。

結局、婦人科で注射(プラセンタ?)してもらったら良くなったようで「更年期障害」ということで落ち着きました。

母は元々、かまってちゃんで、拗ねたり、被害妄想が強い人でしたので、驚きはしなかったのですが今から考えると、これは認知症の前段階だったのかな、と思います。

 

2.易怒性

2016年の冬、母と喧嘩しました。

私が家の鍵をなくして、家に入れなくなり、パパが帰ってくるまで子ども達を連れて実家に行きたいと言った時に「おいで」とは言わずに「パパの会社に行って鍵をもらってきたら?」と言われたことで、私がひどい!!と怒ったんですね。

そしたら母が急に私よりもっと怒り出し

「もう2度と連絡してくるな」みたいなことを言われました。

いつもの喧嘩かと思ったら、いつまで経っても母の気持ちが収まらない。

怒りっぽい人だったので、気にしなかったのですが、1年近く無視されました(笑)

仲直りした後に聞いたのですが、自分の家に呼ぶことはその時に思いつかなかったようです。

(おそらく、その時の私が若干パニックだったので、母も一緒に混乱してしまったのだと思います)これも今思えば、認知症の初期症状だったのかもしれません。

 

3.大泣き

2017年、運転できない母の代わりに、実家の車を車庫入れすることがありました、マンションの立体式駐車場なので、操作方法がすぐに分からず、操作方法と車庫の番号を母に聞いたところ母が急にパニック!!!

わんわん泣き出しました。なんとか無事に車を納めましたが初めて見る母の醜態にドン引き。

年齢のせいなのかな?と思いましたが、テツさんにことの顛末をメッセージすると「いくつか同時に指示すると最近はパニックになって怒り出す。認知症の初期だと思う」と返事が。

テツさんは病院に行くことを何度も何度も提案していましたが

「私を馬鹿にしているのか!!」と母は怒ってしまい、全く話にならなかったようです。

 

続きます