現役ナースの独り言 

病院のエピソードや、健康情報を伝えていきます。

レビー小体型認知症と診断された母の経過 #2

レビー小体型認知症と診断された母の経過 #2

 

読んでいただいてありがとうございます。

レビー小体型認知症と診断された母の経過 #1

の続きです。

 

母の様子が明らかにおかしいと母の夫、テツさんは思っていましたが、

プライドの高い母は「私はボケてなんていない!!」と怒り出しなかなか病院にいくことはありませんでした。

テツさんも、昔、母と不倫していたこともあり、私と妹に対しての申し訳なさから「迷惑をかけられない」という遠慮があったと思います。

私と妹に母の状況を打ち明けることはなく、一人で抱え込んでいたようです。

2018年の初夏に、母とテツさんは旅行に行きますが

「正直、母が大浴場から部屋に帰ってこられる気がしていなかった」と

だいぶ後に私に話しています。母はフロントの人などに聞きながら帰ってきたようです。

もうその頃には、母はかなりおかしかったのでしょう。

 

受診を決めたきっかけ

2018年夏に、母が友人とトラブルに。

友人とランチをした時に、どうやら自分の分を支払わなかったらしいのです。

「お金を払う」ということを、すっかり忘れていて、それが原因で友人から避けられるようになってしまった??ようです。

(プライドの高い母はそんなことは絶対に私に話さないゆえ、これはテツさんから聞きました。今はテツさんは亡くなっているので詳しい経緯はわからず)

あとで自分の失態に気づいて、自分のしたことにショックだった母は、ようやく「物忘れ外来」にいく決心をします。

 

レビー小体型認知症と診断される

2018年秋に自宅近くの脳神経専門の病院に行き、検査を受けました。

「脳への血流が普通の人より悪いと言われた」と母から聞きましたが、そのほか詳しいことはわからず。(降圧剤が血流を悪くしていたのではないかと個人的には思いますが、まあ飲むなって言っても聞き入れてくれませんでしたよね。しかしこれはまた別の話なので、またの機会に)

この病院で「レビー小体型認知症」と診断されました。

アリセプトが処方され、「1年後にまた来てください」と言われ、「治療とかしないのか・・・」と途方にくれるテツさん。

ここで、私は初めてテツさんから母の現状を知り、相談を受けました。

自宅近くの入院施設のある精神科の病院に通うようになります。

やることは脳神経専門病院となんら変わりなく、先生と話をするためだけに1ー2ヶ月に1回の通院でしたが、それでもテツさんも母も医療機関と定期的に繋がれることで、心強く感じたようです。

この頃の母は、私が実家に遊びに行くと、やたら陽気でハイテンションでした。

「痩せない痩せない」と昔はあんなに悩んでいたのに、あれよあれよと10キロほど痩せてしまいました。きっと自分が自分でなくなることに不安でいっぱいだったのでしょうが、母は娘の私の前では決して弱いところを見せませんでした。

毎朝ウォーキングに行ったり、料理も自分でしていました。

何度も何度も同じことを話す以外は、特段変なところはありませんでした。

繰り返し繰り返し聞かされる話に「もうそれ聞いたよ」とか言うと「しゅん・・・」としてしまうので、ひたすら初めて聞くふりをしていました。

 

携帯のメッセージの誤字脱字が多くなる

月に一回程度ですが、会いに行くと、特段変わりのない母に見えましたが、2019年あたりから携帯のメッセージの誤字脱字がやたらと増えました。

テツさんは、毎日お弁当を作って欲しいと母にお願いしていたようで、母もそれを励みにお弁当作りをしていました。

だんだん凝ったものは作れなくなり、品数も減っていきました。

遊びに行くたびに、「テツさんのお弁当の残りだけど・・・」と、私や息子にもお弁当を作ってくれました。母の手作りのお弁当はこれが最後かもしれない・・・忘れないように大事に食べよう・・・と思いながら息子と食べていましたね。

最後に作ってくれたのが(最後だと思ってなかったけど、結果最後になってしまった)チーズとノリと鶏のささみのカツ。油の温度がうまくできず、かなり油っぽかったその味はきっと一生忘れません。

 

被害妄想がひどくなる

2019年冬に喧嘩がきっかけになり、母とテツさんの寝室が別に。

喧嘩の原因は、母の被害妄想。

8歳年下のテツさんの浮気を疑って、少しでも仕事の帰りが遅くなると「お姉ちゃんのところに行ったに違いない!!」と母が責めていたそうです。

「あんなに優しくて尽くしてくれてる旦那さん、少しくらいお姉ちゃんのところに行ったっていいじゃない!!お母さんの器が小さい!!」

と私も妹もテツさんの味方でしたが、テツさんは事実無根だと(笑)完全な母の被害妄想でした。

テツさんは「怒られるのはまだ良い、無視が一番つらい。」と言っていました。

母は怒ると1週間口きかないとかザラですからね。

それでも、私たちが何か手伝うことはあるかとテツさんに声をかけると「俺が最後まで面倒見るから大丈夫」と言って聞きませんでした。

お母さん、私が小さい時から、男運が悪いってずっと言ってたけど、最後に良い男を捕まえたと心から思いました(笑)

 

私は仕事柄、多くの認知症の方を見てきました。

認知症になると、今まで本人が押さえてきたものも、一気に表に出てくると思います。

本当に時々「性」に対して開放的になってしまう方もいますが

主に「お金が盗まれた」的なお金に関する被害妄想が多いイメージです。

しかし母の場合は、お金に関する妄想は今現在も一切ないですね。

ギャンブル依存症の父との結婚生活や、母の子ども時代の貧乏経験などから考えると、母が「お金」に固執しないのはとても意外でした。

その代わり「男性に対する恨み」「不信感」みたいなのが強く出ています。

私がもし認知症になったら、何が出てくるのか・・・不安(笑)

 

続きます。

医療ミスはこんなに起きている?!

こんにちは。
ナースの独り言です。


医療ミスって、どれくらいの頻度で起こると思いますか?

 

たまにニュースで医療ミスのことは見かけますよね。

 

ちなみに医療ミスとは、医師や看護師などの医療従事者が、患者さんに対して誤った治療を行ったり、手順を間違えたりすることです。

 

薬を飲ませ忘れた、食事の前の血糖を測り忘れた・・という割と些細なものから

 

検査や手術の患者間違え、部位の間違え(左と右を間違えて取ったとか・・)など

心身に影響があるものまで様々です。

 

病院では、多くの患者さんを診ているため

そして、それはミスを起こす「人間」が行っているため

常に医療ミスが起こるリスクがあリます。

 

そのために、ほぼ全ての業務には「マニュアル」が存在します。

マニュアル通りに業務を行えば、ミスはほぼ防げると言われています。

 

医療従事者たちはインシデント(いわばミスの手前で気づいた)とアクシデント(実際ミスを起こしてしまった)が起こるたびに、「何が原因なのか」「どうしたら防げたのか」を分析して報告書を提出しています。

 

それを安全対策委員会がまとめ、マニュアルを追加変更したり、

医療ミスの分析をしたり、2度と起こさなためにどうしたらいいのかを

常に考え、業務に取り組んでいます。

 

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看護師は、医療ミスを防ぐために、

マニュアルの遵守(じゅんしゅ)や

患者さんに対してダブルチェックやフルネームの確認、

リストバンドのチェックなどを行っています。

また、患者さんとのコミュニケーションを大切にし、

患者さんの状態や医療行為の理解度を確認することも重要です。

 

しかし、実際に医療ミスが起こることもあります。

 

確実なミスに至らなかった件も含めたら、

1病棟(病床数40床、看護師40−50人くらいの規模)で

年間150件くらい報告書が出ていました。

もちろん看護師の報告書の数だけです。

(アタクシ、何年も安全対策委員の委員長やってたのです)

 

報告されていないものもあるはずなので、

実際はもう少し多いと思います。

 

年間150件、誰かどこかで看護師が「やべえ」とドッキリしたわけです。

 

この数はあなたの予想より多いですか?少ないですか?

 

ニュースでやってるのはほんの一握り。

 

誤解を恐れずに言えば、大事にならない医療ミスって案外多いんですよ。

 

 

 

さて、このような医療ミスを防ぐためには、

医療従事者たちが教育を受けることや、

医療現場での安全管理の徹底が必要です。

 

また、医療ミスが起こった場合には、速やかに報告し、

患者さんとその家族に対して適切な対応を行うことが大切です。

 

先ほど、年間の1病棟の報告書の数を上げて、

多いと思うか少ないと思うかを問いましたね。

 

病院では、意外だと思いますが、

 

・人間がすることだからミスは起こって当たり前!

・報告書の数は多い方が良い!!

・報告しづらい雰囲気を作ったらダメ!

・どんどん報告するように!!

 

と言われていました。

 

ミスを隠したり、

誤魔化したり、

反省をしないのが一番問題だとされていました。

 

いかに次に生かすか、

そして2度と起こさないためにはどうしたらいいのか・・

 

そういう視点で、看護部は動いていました。

 

 

そしてミスが起こる一番の原因、

 

それは

 

「マニュアル」に沿った行動をしていなかったから。

 

がダントツ1番でした。

 

そりゃそうです。

 

マニュアルは、ミスを起こさないために作られたものなのですから。

 

忙しくて、ついついマニュアルの内容を端折ってしまった・・

 

そんなときにミスは起きていました。

 

これから医療行為を受ける人、

案外ミスは起きているものです。

 

患者さんの体のことでもありますし、

患者さんの協力が必要なところでもありますので、

医療者に任せきりにせずに、

協力して一緒に治療していきましょう!!

 

 



 

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死を目前にする人が後悔すること

こんにちは。
ナースの独り言です。

 

私は大学病院の病棟に16年間勤めてきました。

病棟では、毎日のように誰がか亡くなり、

「死」を間近に感じながら生きている人のお世話をさせていただいていたわけです。

 

特に、特別室勤務では、

個室代が十分に払えるくらいの裕福な方、

社会的地位の高い方ばかりでしたので、

お金でも解決できない、

どうしようもない、自らの「死」に対する色々な思いを

間近で見てきました。

 

看護師はいい意味でも悪い意味でも

かなりその人の人生に入り込みますから、

ふと、本音を漏らされることもあり、

その中でも「自分の人生に対する後悔」を話される方が多かった気がします。

 

その中でも印象に残った内容をシェアしたいと思います。

 

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1.もっと旅行をしておけばよかった

病気になって、定期的に受信するようになると、ましてや入院すると

旅行には気軽には行かれなくなります。

行きたいところがあれば、国内海外限らずに、言っておいた方が良いのです。

 

2.もっと勉強をしておけばよかった

親の希望通りの進路を選んだとか、留学をしたかったけど諦めたとか

勉強したいことがあったけど、

まだまだ時間があると思って後回しにしてきたとか、色々あります。

学びたいことは後回しにせずに学びましょう!!

 

3.もっと時間を大切にしておけばよかった

病気になる前は、明日も明後日も、1ヶ月後も半年後も1年後も

普通に時間があると思ってきたという方が多かったです。

病気になって、残りの時間の期限が思っているよりずっと短いので

絶望的になる人も多いです。

 

4.もっと家族を大事にすればよかった

奥さんやご主人、親、息子、娘、兄弟姉妹、

人が集まって生活している場では

何かしらのしがらみがあるものです。

もし家族の中で、関係が良好でない人がいて、

明日別れなければならないと考えた時に

後悔しそうであれば、今のうちに大切にしてください。

 

5.もっと仕事を休んで自分の好きなことをしておけばよかった

特別室は社会的地位が高い人が多かった分、

自分の人生、家族、時間を犠牲にして、働いてきた人が多かったです。

お金は得られても、使える時間がなければ意味がない。

もしかしたら、そんなに自分の人生に

お金も必要じゃなかったのかもしれない。

そんなことを思う人もいらっしゃいました。

残りの人生が限られていると実感した今、

好きなことを・・と思っても、

体が思うように動かな苦なっている時の絶望感は

おそらく想像を超えると思います。

 

6.好きな人に好きだと伝えておけばよかった

これは学生時代のことを言っていました。

つまらないプライドや、嫌われるかもしれない不安。

そんなことは今から考えると

本当にちっぽけなことだったとお話してくれる人が多かったです。

 

7.もっと人に優しくしておけばよかった

死期が近づいていると感じると、人は懺悔するものなのかもしれません。

自分がこの世からいなくなることで

人々の記憶から忘れ去られる恐怖から、

何か人にいい印象を与えて死にたいという、

承認欲求的なものもある気がしました。

そして意地悪も怒りも恨みつらみも

エネルギーがかなり必要です。

どんなに看護師に怒鳴りまくっていた患者さんも

病気が進行して体力がなくなるにつれて、静かに穏やかになっていきます。

激しい感情を出しているうちは、ある意味「元気」なんですよね。

 

8.あの夢を叶えておけばよかった

「好きなことをすればよかった」と重なる部分があります。

多くの人は、死を目前にして、自分ももれなく死ぬことを知ります。

いつでも叶えられると思っていた、

当時は生活するだけで精一杯だった・・・

などいろんな理由があるのかもしれませんが、

人生のどこかで夢を諦めた人は、必ず後悔するようです。

 

9.もっと自分のことを表現しておけばよかった

これは、相手に伝えておけばよかったという、コミュニケーション的なことから

仕事などで自分を「表現」しておけばよかったなど

いろんな意味があります。

「体」という物質があるからこそ、

私たちは表現ができるわけです。

体があるうちに、体があるからこそできることを

やっていきたいですね。

 

10.ごめんねと言って仲直りしておけばよかった。

これは結構多かったと思います。

その時は、真剣に腹を立てていても、

振り返ってみたら

つまらない意地を張っていたな・・と思うようです。

これは、相手が亡くなってしまっても思うことのようです。

かつてケンカした人がまだ生きているのなら、

「ごめんね」をいうことを考えて見てもいいのではないでしょうか。

 

 

今の体で、今の自分で

生きるのは

この人生だけです。

 

そして、今周りにいる人も、

今だけの限定です。

もし生まれ変わりがあるとしても、

次の新しい人生は、今と同じメンバーとは限りません。

 

だとすると、「今」は本当に尊いんですよね。

 

 

 

 

 

レビー小体型認知症と診断された母の経過 #1

こんにちは。

ナースの独り言です。

 

 

今日は「レビー小体型認知症」と診断された実母のことについて書いていきたいと思います。

健忘録と、どなたかの参考になれば・・・と思っています。

 

レビー小体型認知症と診断された母の経過  #1

母の紹介

実母は1950年生まれ。東京都出身。

8人兄弟の末っ子。

私は、母が子どもの時の貧乏だったエピソードを繰り返し聞き

「あなたは恵まれている。お母さんに比べてあなたは幸せだ」と育ちました。

実際に貧乏だったようですが、末っ子母と長子の年齢は16歳ほど歳が離れていて、

10歳そこそこで奉公に出された母の姉に比べたら、末っ子母は貧乏ながらも

なんだかんだと可愛がられて、育ったようです。

 

中学卒業後は、美容師になるために勉強し、美容師に。

どうやら好きな人がいたようですが、おばあちゃん(私の母の母)に「大手の会社に勤めている人だから」と勧められて、24歳で父とお見合い結婚。翌年私が生まれます。

(その母の好きだった人が、赤ん坊の私と母に会いに来たとかいう話もちらっと聞いたことがあるのですが、もっと詳しく聞いておけばよかった(笑)。子どもだったけど空気読みすぎたな・・・ちなみに私は父にそっくりなので、ドラマ展開はなく、残念ながら間違いなく私は父の子です(笑)

 

私が8歳の時に、父に多額の借金があることが判明。

父はギャンブル依存症でした。

今となっては「心の病気」ということで、治療をしていたかもしれませんが、当時は「お父さんの心が弱いからだ」「妻である母がしっかり見ていないからだ」など親戚から母が強目に言われていたのを子どもながらに覚えています。

借金を返すために、パートで働きに出ますが、手に職がなかった母は苦労したようです。

そのため、まだ10歳くらいだった私に

「男に頼らなくても一人で生きていけるような仕事に就きなさい」「看護師になりなさい」

と勧めてきました。私が看護師を本気で目指し始めたのはその時からです。

 

しばらく頑張って、借金を返してきた母でしたが、借金を完済した時に

「私の役目は終わりました」と家を出ていきます。

私が17歳の時でした。

 

私はその時に母が不倫をしていたことに気づきますが、妹は3年前くらいにすでに気づいていたようです。(妹、まだ小学生だったのに・・・・w)

「お母さんのパンツが変わったからすぐわかった。お姉ちゃんってほんと鈍感だね・・・」と呆れられたのを覚えています。

それまでも母はモテたようで、父の会社の人(母と同じくらいの人だった)が家を訪ねてきたり、クリスマスにパールのネックレスをプレゼント(こちらは結構なおじいちゃん)してきたり(私が会ったのは2人。2人とも父を介して断ってもらった)していました。

母の名誉のために言っておくと、実際、その人達と恋愛関係はなかったようで、一方的に好意を持たれて困っていると母が友人に話しているのをこそっと聞いたことがあります。訪ねてきたのが子ども(私)がいる時で良かった、気持ち悪いって母は言ってました(笑)

小学生だったので詳しい経緯は分からず。

 

その後、父が家出した母をストーキングしたりする事件もありましたが(笑)

離婚成立後、母は8歳年下の家出の原因になった人(初婚)と結婚します。

1995年 母45歳、お相手37歳、私が20歳の時だったと思います。

 

私は看護師になるために、22歳で実家を出て、それから父とは音信不通でした。

父は10年前に亡くなっています。

 

母とは家出後もずっと連絡をとっており、私や妹の子どもは、母の夫のテツさん(仮名)のことを「おじいちゃん」と呼ぶような仲です。

 

テツさんは親兄弟はおらず天涯孤独の方でしたが、とても愛情深い人で、私の子ども達を本当の孫だと思って可愛がってくれました。二人の間に子どもはいませんでしたが、母とも仲が良く、しばらくは穏やかな日々でした。

 

異変

1.うつ症状

一番初めになんかおかしいと思ったのは、2012年、母が62歳の時でした。

仕事をやめてから、母がうつっぽくなりました。

出産後、里帰りしていた妹から

「お姉ちゃん、お母さんがやばい!!」と連絡が。

ある日、妹が赤ちゃん連れて母の家に帰宅すると、真っ暗な中、電気もつけずに部屋の真ん中で母が体操座りをしており、「私なんて存在する意味がない」とかなんとかぶつぶつ呟いていたようです。

結局、婦人科で注射(プラセンタ?)してもらったら良くなったようで「更年期障害」ということで落ち着きました。

母は元々、かまってちゃんで、拗ねたり、被害妄想が強い人でしたので、驚きはしなかったのですが今から考えると、これは認知症の前段階だったのかな、と思います。

 

2.易怒性

2016年の冬、母と喧嘩しました。

私が家の鍵をなくして、家に入れなくなり、パパが帰ってくるまで子ども達を連れて実家に行きたいと言った時に「おいで」とは言わずに「パパの会社に行って鍵をもらってきたら?」と言われたことで、私がひどい!!と怒ったんですね。

そしたら母が急に私よりもっと怒り出し

「もう2度と連絡してくるな」みたいなことを言われました。

いつもの喧嘩かと思ったら、いつまで経っても母の気持ちが収まらない。

怒りっぽい人だったので、気にしなかったのですが、1年近く無視されました(笑)

仲直りした後に聞いたのですが、自分の家に呼ぶことはその時に思いつかなかったようです。

(おそらく、その時の私が若干パニックだったので、母も一緒に混乱してしまったのだと思います)これも今思えば、認知症の初期症状だったのかもしれません。

 

3.大泣き

2017年、運転できない母の代わりに、実家の車を車庫入れすることがありました、マンションの立体式駐車場なので、操作方法がすぐに分からず、操作方法と車庫の番号を母に聞いたところ母が急にパニック!!!

わんわん泣き出しました。なんとか無事に車を納めましたが初めて見る母の醜態にドン引き。

年齢のせいなのかな?と思いましたが、テツさんにことの顛末をメッセージすると「いくつか同時に指示すると最近はパニックになって怒り出す。認知症の初期だと思う」と返事が。

テツさんは病院に行くことを何度も何度も提案していましたが

「私を馬鹿にしているのか!!」と母は怒ってしまい、全く話にならなかったようです。

 

続きます

 

 

 

 

絶対知らない方がいい??看護用語(隠語)

こんにちは。

ナースの独り言です。

 

 

看護師が使う「看護用語」みたいなものが存在します。

一般の会話には出てこないので、

一度聞いただけではわからない方も多いかもしれません。

 

しかし、患者さんが知らない方がいいこともあります。

 

私は一人目を出産した時に、先生一人で回している個人病院で出産したのですが、

子宮口マックスで、あとは先生まち!!ってなった時に、

先生がすぐ来なかったんです。

 

「マジで」

「ふざけんな」

「バカヤロウ」

「早くしろ」

「我慢できない」

 

と心の中で思いつく限りの悪い言葉を思いながらも、

あまりの痛さに、うなることしかできなかったんですね。

 

その時に、頭の上あたりで、看護師同士、コソコソ話す声が聞こえてきました。

 

「先生遅いね・・」

「なんかね、○号室のカイザーの包交終わったら来るみたい・・」

 

「はああああああ??

○号室のカイザーの包交終わったら来るみたい・・・??」

 

看護師の私は、意味がわかってしまいましたw

 

カイザーとは「帝王切開

包交とは「術後の傷などの消毒、ガーゼ交換」などをいいます。

包帯交換の略なのかな?

 

要は、「先生は帝王切開後の傷の消毒などが終わったら来る」ってことを看護師たちは言っていたんです。

 

私は頭の中が沸騰するようでした。

 

「包交なんてあとでいいだろ!!優先すべきはこっちだろ!!早くしろよおおおおお、ゴルアアあああああ!」←陣痛が痛すぎて一切言えなかったけどw

 

この時ほど、人に殺意を抱いたことはありません(笑)

 

 

きっと患者さんは、看護師が何を言っているのかを、

はっきり知らないことがいいこともあるのかもしれません。

 

しかしながら・・

しかしながらのあえてです。

 

ここでは、ネタバレ的な、しかし役に立ちそうにない

別に知らなくて良いもの、いや知らない方がいいもの

を選んでお届けしたいと思います。

 

なんだよ!看護師はみんな白衣の天使じゃないんだな!!

夢をかえせ!!

知らなきゃよかった!!的なクレームには

応じられませんので悪しからず・・・

 

(看護師もしょせんただの人間なんですよ)

 

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プシコ、プシ、Pちゃん、P

 

psychiatry(英語)psychologie(ドイツ語)からきています。

「精神科」という意味ですが、

言いがかり的なクレーム連発する人、異常に手がかかる人、

こちらの言うことが通じない人

対応にものすごい気をつけなければならない人など、

かなりネガティブな意味で使われます。もちろん本人にはいいません。

対応注意の人のカルテの隅に「P」と描かれていた病院もありました。

それをみて、看護師も医師も会計係も薬剤師も「ああ・・・」と察するわけです。

 

例:あの部屋の人「P」だから気をつけて

 

 

生保(せいほ、なまぽ)

 

生活保護」の略です。

こちらもネガティブな意味で使われます。

生活保護」に関しては普段は私たちナースは何も思いません。

しかし、該当する方が、必要以上の対応やクレームを言ってくると

「生保なのに(怒)」と言う言葉が出てくることがあるのです。

医療費払ってないんだから、払っている人よりクレームつけるのはおかしいよねということを愚痴っています。もちろん本人にはいいませんけども。

(差別は良くない!!という言葉もあるでしょう。しかし、どこでもこういう言葉を言うナースは存在していたので、これが現実です。実際、生保の人で、おかしいくらい、口うるさくクレームいう人、必要以上の要求をする患者さんはたまにいます。そういう時にのみ発動します。)

 

 

ステりそう、ステる

 

亡くなることを指しています。

sterben(ドイツ語)からきています。

 

例:今日、○さんステりそうだな・・

 

 

アポる、アポった

 

脳卒中脳出血脳梗塞)などを指しています。

apoplexie(ドイツ語)、apoplexy(英語)からきています。

 

 

ついてる

 

勤務時間に担当していた患者さんがなくなることを指します。

急変に当たるのが多い人というのは、病棟で必ず一人はいて、

そういうスタッフはお祓いを勧められたりしていたので、

「憑いてる」からきているのかもしれません。

 

例:最近あなたついてるよね

 

 

 

 

いかがでしょうか?

 

ほんの一部ですけど、書いてみました。

 

医療界の隠語的なものはもっとたくさんあります。

(テレビの業界用語と同じですね)

 

これらはあくまでも現場でのみ、さらっとこそっと使われるものですので

耳にすることはないかもしれません。

 

 

 

 

 

 

またの機会なんてないと思った方がいい

こんにちは。

ナースの独り言です。

 

 

「またの機会」

なんて人はよく言いますけれど、

私的には

「また」も「機会」もないと思っています。

 

 

病院は年末年始は検査もお休みになるので、

病棟に入院している比較的元気な人は、自宅に外泊することが多いです。

 

半分以上の患者さんが外泊しますが、年末年始に病棟に残ってるのは、重症の方、一人暮らしの方がほとんどです。

 

80歳のAさんは、医師に、年末年始はすることがないから、家に外泊することを勧められていました。

 

ご家族も「帰っておいで」と言っていました。

 

ところがAさんは、おそらく息子夫婦に気を遣って「帰らない」選択をしました。

 

「お正月はまた来るし、どうせすぐ退院になるから」

と。

 

確かにAさんは、お年のわりに足腰しっかりしてて、2月くらいまでには退院できそうでした。

 

Aさんも私たちも、てっきり帰れるものだと思っていました。

 

しかし、年が明けてしばらくして、Aさんは急変して、あっという間に旅立たれました。

 

Aさんに次のお正月は来なかったのです。

 

この時に私は、

「また」も「機会」もいつもあるわけではないということを悟りました。

 

Aさんだけではありません。

年齢なんて関係ありません。

健康だからとかも関係ありません。

 

いつ、どうなるかなんて誰にもわからないのです。

 

私は、毎年毎年、桜は今世最後のつもりで大切に眺めています。

 

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当たり前に来年の春が来るなんてこと、100%保証されてる人なんてこの世に1人もいませんから。

 

肉体があるうちに、やりたいことはやって、会いたい人には会って、食べたいものを食べて、欲しいものを買って、行きたいところに行って、、、、そうやって毎日毎日大切に生きていこう、そう心が思います♡

 

「また」も「機会」も、2度とないかもしれませんから。

 

 

看護師のボーナスはいくら?師長のボーナス額を聞いて驚愕した話。

こんにちは。

ナースの独り言です。

 

 

サラリーマンの皆様もうすぐ「ボーナス」の時期ですね!!

 

独り言は、今はもう組織を離れてしまったので、

かつての「ボーナス」がとてもとても懐かしく感じます・・・・。

 

頑張って働いてきた皆様のボーナスが、どうかたくさん支給されますように!!

 

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さて・・・

看護師はシングルが多いと聞くし、

彼氏のヒモ率が多いと聞くし、

一体ナース達はどれだけもらっているのか??

看護師のボーナス額って気になりますよね。

 

今日は「ボーナス」にまつわるそんな話を書いてみたいと思います。

 

看護師のボーナス額ってぶっちゃけいくら??

 

私が現役の時のお話なので、今はもう少し少ないかもしれません。

当時、都内大学病院の冬季ボーナスは基本給の3.4倍でした。

 

新人ナースの時は基本給が185000円くらい(だったはず)

 

ということは・・・・??

185000円×2.8=518000円

 

ここから短期掛金だの長期掛金だの10万くらい引かれます。

はい、大体の支給額が分かりましたか??

 

10年も働くと、基本給が240000円くらいになっているので

240000×2.8=672000円

 

ああ、当時は労働の割に少ない!!って思ってたけど、

今から考えるといっぱいもらってたなあ・・・。ありがたかったなあ。

 

ちなみに夏は基本給の1.4倍だったと思います。

 

全部つかちゃったよ・・(涙)←何年前の話なんだ・・当たり前

 

全国の2023年の看護師のボーナスの支給額は夏冬合わせて86万円くらいですって。

 

新人の時だと777000円

10年目だと1008000円

 

だったから、やはり昔の方がボーナス支給率は良かったのだろうか?

 

 

 

驚愕の看護師長のボーナス!!

 

さて、ここまでは役職のつかないヒラナースのお話。

 

じゃあ、看護師長はどうなのか??って話なのですが、

実は看護師長の明細書を見せてもらう機会がありまして(笑)

 

なんでそんな流れになったところから説明しますね。

 

ある時に所属していた師長と主任が、「ジャイアン」と「のび太」みたいな関係でした。

しかも「ジャイアン師長」と「のび太主任」の名前が漢字1文字違いだったんです。

(紛らわしいw)

 

ボーナスの明細書は、一回はがすとくっつかないような仕組みになっており、

ジャイアン師長は、間違えてのび太主任のボーナス明細をビリビリと開けてしまいます。

(今から考えると、もしかしたらわざとだったのかもしれませんが・・・w w 怖)

 

「あらー!!なんだか少ないと思ったら、これ、のび太主任のじゃないのーー!!」

と師長は大騒ぎ。のび太主任はうつむくばかり。

 

私たちヒラナースは、どんな反応をしたらいいのか分からず、

あいまいな笑みを浮かべるばかり。

 

控えめに言って修羅場です(笑)

 

普段から、まず謝らない性格のジャイアン師長でしたが、

さすがにちょっと悪いと思ったんでしょうね・・・。

 

「私のも見せてあげる。」

って言い出しました。

 

それでチャラになるのかどうかは疑問でしたが、そこにいたナース全員に

お披露目してくれたわけです。

見るか見ないかといったら見るに決まってますw

 

写メさせてもらったわけじゃないので(そもそもまだスマホがなかった時代w)

うろ覚えなのですが、色々、諸々引かれた後で、3桁いってましたーーーーー!!

150万くらいだったかも??

ただの自慢かよ・・・でも師長すげえええええ。

 

 

よし、私も師長になろう♡と密かに決意した私は、顔にモロに出ていたのかもしれません。

私の邪悪な動機なんて、全てお見通しかのごとくに、ジャイアン師長は私に冷たく言い放ちました。

 

「あんたが師長になる時は、こんなにもらえないからね。」

 

どうやら、ジャイアン師長が看護師になった当時は、バブルの前で、

すんごい待遇が良かったようなのです。

退職まで継続して勤務すると、退職金(おそらく4桁)にさらに数百万円とかプラスされるとかなんとか。なんじゃそりゃ。

 

今の時代から考えると、信じられないようなはぶりの良さ。

 

そしてこの話、20年くらい前の話なんですよね。

たった20年ですよ。

 

看護師のボーナス一つとっても

日本って本当に変わったなあ・・・・と思わずにはいられません。

 

 

ちなみに、ここに出てくる「ジャイアン師長」と「ドケチ師長」は同一人物です笑

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